付け鼻ニコールの美しさに釘付け。めぐりあう時間たちネタバレ感想

予告編動画(日本語字幕なし)↓

 
 
2002年に公開され第75回アカデミー賞でニコール・キッドマンが主演女優賞を受賞した映画『めぐりあう時間たち』(洋題:The Hours)
 
メリル・ストリープ、ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーアと私が大好きな超演技派女優3人が共演したこの作品。
 
ニコール・キッドマン、付け鼻つけても相変わらず美しくて見とれてしまったが、それにしてもうーん、何とも不思議な傑作である。
 

 


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“何気ない1日が人生すべてを狂わすきっかけになる”

 

出典:「Fanpop」
 
この映画はどのジャンルに入るのか。
 
ミステリー?ヒューマンドラマ?・・・ある意味ホラーかも。。。
 
うんでもまあジャンルなんてどうでも良い事で、とにもかくにも傑作である事は間違いない。
 
観る度に受ける印象が違うのは、観客の年齢・状況によって解釈が変わる作品だからだろう。
 
そして私の場合は観る度に3人の誰に共感するのかも違うというのも、この映画の魅力の一つである。
 
 
どこか不気味でミステリアスながら感動的で思わず共感してしまう今作は、時代も人生も全くこそなる3人の女性の「ある1日」を通して強烈なメッセージを胸に突きさしてくる。
 
 
生きることは誰かを傷つけるという事
自分らしく生きることはとても難しく
人間には自分の存在価値を証明するエゴが必要だという事
 
 
「何気ない1日での何気ない事がきっかけで人生は大きく狂う」
 
 
違う時代を生きる3人の女性に同時に訪れる「運命の1日」を描きながら物語は進んでいく。
 
 

「めぐりあう時間たち」ネタバレあらすじ

 

出典:「Screenmusings」
 
1941年。英国リッチモンド。
小説家のヴァージニア・ウルフは夫へ遺書を残し川へ入水自殺を図る。
 
その頃夫は妻からの遺書を手にしていた。
 
「あなたほど優しい人はいない。
 あなたの人生をこれ以上邪魔したくはない。
 
ー私達ほど幸せな2人はいないでしょう。」
 
ここから時は遡り、時代の違う3人の女性の1日が始まる。
 
 
●1923年 英国 リッチモンド
ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)
 

出典:「Alt Film Guide」
 
心の病の療養の為、夫と共にイギリスの田舎町で暮らすヴァージニアは小説を執筆中。
小説のタイトルは『ダロウェイ夫人』。
 
 
●1951年 ロサンゼルス
ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)
 

出典:「Pinterest」
 
優しい夫と一人息子に恵まれ、現在は2人目を妊娠中。
幸せな人生を手に入れたかに見える彼女は、小説『ダロウェイ夫人』を読みふけり、心の満たされない主人公と自分を重ねている。
 
 
●2001年 ニューヨーク
クラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)
 

出典:「Alt Film Guide」
 
同姓の恋人と暮らしながらも、かつて愛し合った詩人の男性リチャードのアパートに通い続け、彼の看病を続けている。
リチャードの受賞パーティー当日、花を買いに行く。
 
リチャードからつけられた彼女のニックネームは「ミセス・ダロウェイ」。
 
 
物語は朝彼女達が起きたところから、不気味につながっていく。
 
 
ベッドから起きて髪を整える。
 
ヴァージニアは『ダロウェイ夫人』の最初の一文を思いつき、口にする。
ローラは、それを読む
クラリッサは、それを行動に起こし言う。
 
 
「花はわたしが買ってくるわ。」
 
 
昼過ぎ。3人の女性にそれぞれの客が訪れる。
 
そして、その来客が彼女達の何気ない1日を変えるきっかけになる。
 
 
ヴァージニアの元には、都会ロンドンで忙しくも幸せそうに暮らす姉と子ども達。
 
ローラの元には、社交家で友人の多いキティ。
 
クラリッサの元には、複雑な三角関係のきっかけとなった、かつての恋人リチャードの元彼が。
 
 
1923年 イギリス。
 
ヴァージニアは姉が帰る間際、姉へのおし殺していた想いを抑えきれなくなり、突然彼女にキスをする。
 
うろたえながらも、妹を残し子ども達を連れてロンドンへと帰っていく姉。
 
小説『ダロウェイ夫人』の中で主人公を殺そうとしていたヴァージニアは考えを変える。
誰か他の人を殺そう、と。
 
 
1951年 ロサンゼルス。
 
社交家なキティが尋ねてきたものの、彼女の様子がおかしい事に気づいたローラ。
 
実はキティは子宮の腫瘍の為に入院する事で深く傷ついていた。
 
「(子どもが産めて)あなたは幸せな人ね」と泣くキティに、ローラは思わず口づけをする
 。
だがキティに自分の愛を拒絶されたと感じたローラは、息子を預け、自殺をする為にホテルへ向かう。
 
しかし思いとどまった彼女は、その夜夫からベッドに誘われ、キティを想いながらそれに応じる。
 
 
2001年 ニューヨーク。
 
受賞パーティーの準備を終えたクラリッサは、昔の恋人であり今は友人であるリチャードを訪ねる。
 
リチャードは突然、自分達が10代だった頃の思い出を語り出し、クラリッサに言う。
 
「君の為だけに生きて来た。
 でも、もう行かせてくれ。
 
ー私達ほど幸せな2人はいない」
 
そう言い残しクラリッサの目の前で窓から飛び降りて自殺をする。
 
 
受賞パーティーが中止となったその夜、リチャードの母親がクラリッサの元を訪れる。
 
それはローラだった。
 
ローラは自殺を試みて思いとどまった後、2人目を出産したら家族を捨てて家を出ようと決意していた。
 
息子のリチャードの小説の中で母親のローラは「モンスター」と称されている。
 
それを知りショックを受けながらも、ローラは言う。
 
「私にはああする以外に道はなかった。
 あの生活は”死”そのものだった。
 
 例え誰も私を許さなくても後悔などしない。
 私は死ではなくて生を選んだの。」
 
 
その夜クラリッサは一緒に暮らす彼女にキスをし微笑みながら眠りにつく。
 
 
そして物語は遡り、ヴァージニアの入水自殺で幕を閉じる。
夫への言葉を残して。
 
「あなたほど優しい人はいない。
 あなたの人生をこれ以上邪魔したくはない。
 
ー私達ほど幸せな2人はいないでしょう。」
 
 


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「めぐりあう時間たち」感想

 

出典:「www.sbs.com.au」
 
私は「女性向け映画」という謳い文句が好きではない。
 
名作というのは、男性が観ても心打つものだからだ。
 
「プラダを着た悪魔」、「マイ・インターン」、「キューティ・ブロンド」など”女性向け”と言われてきた傑作はどれも男性が観ても十分楽しめると思う。
(とはいえ「キューティ・ブロンド」は女性色が強いかもしれないが。)
 
 
でも「めぐりあう時間たち」という映画については男性より女性の方が深く共感できると思う。
 
特にローラのエピソードにおいては、男性の中には彼女の感情と行動が理解しがたいと思う人もいるだろう。
 
 
1951年という時代。
 
女性は家で夫の帰りを待ってこそ、「良き妻」であり、それこそが女性達にとっても最高に幸せな時代だった。
 
女性が「自分らしく自分の選択で人生を切り開く」など、絶対に受け入れられない時代だ。
 
 
私は個人的には3人の中でローラのエピソードが一番印象的であり観ていて一番辛かった。
 
彼女の「あの生活は”死”そのものだった」という一言がまさにそれを現している。
 
優しい夫、可愛い子ども、何不自由ない人生。
 
キティでなくても周囲の住人はローラに言ったであろう。
 
「あなたは幸せな人ね」と。
 
そしてその言葉を聞く度に彼女の心は死んでいったのだろう。
 
 
滑稽な事に、3人の女性達は皆、言い知れぬ苦しみの中でもがきながらも他人にこう言われる。
 
「あなたは幸せな人ね」と。
 
 
そして彼女達は、その「幸せ」を必死に形で表現しようとする。
 
夫の誕生日にケーキを作るローラ。
 
リチャードの授賞式の為に豪華なパーティーを開こうとするクラリッサ。
 
 
「ケーキ」も「パーティー」も相手の為ではない。
 
彼女達が自分自身を幸せと納得させる為の「物質」なのだ。
 
 
自分という人間が幸せである事を証明する為に私達は生きている。
 
証明が何かは人によって違う。
 
地位や称号という目に見えないモノだと考える人もいれば、家や車というハッキリとした形あるものだと考える人もいる。
 
 
私はこの映画の「何」に共感をしたのかハッキリと答えることは出来ない。
 
3人の女性達の「とある1日」そのものすべて共感してしまったからだ。
 
必死に心の中に渦巻く孤独感に蓋をして自分は幸せなのだと自分に思いこませる為に振る舞う。
 
 
観終わった後、哀しくて、切なくて、何とも言えない気持ちになりながら救われた。
 
今までシンクロしてきた3人の結末が全く違ったからだ。
 
 
ヴァージニアは「死」を選んだ。
 
最も絶望的なエンドだ。
 
 
ローラは「生」を選びながら、「家族を捨てた」という枷を一生背負った。
 
けれども彼女は死ぬことなく、自分の人生を生きた。
絶望的でもあり希望的でもある。
 
 
クラリッサはずっと傍にいてくれたレズビアンの恋人の存在の大切さに気づいた。
 
そして彼女と生きていく事に希望を見出し、微笑む。
 
クラリッサのエンドが絶望ではなく、希望となったところに私は救われた。
 
 
生きる事はたやすい事ではないし何気ない事がきっかけで大きく人生が変わる事もある。
 
けれど、だからこそ人生を生きるというのは楽しい事なのだと私は思っている。
 
出来事が起きたかどうかが問題なのではなく、起きた出来事に対して、どう考え、どう生きるかが大事なのではないかと思う。
 
絶望を経験するからこそ、学び、成長し、思いもかけないチャンスを手にしたり、忘れかけてた大事な事に気づく事も出来る。
 
 
失敗は最大のチャンスであるという事。
自分は自分にしか救えないという事。
 
自分の人生に覚悟と責任を持って行動しない限り、居場所は見つからないという事。
 
けれども逆に本物の覚悟と責任を持って行動を起こせば、意外と何でも可能なのだという事。
 
私自身、沢山の失敗と絶望から学び、自身の行動と体験から得て来た勝手な人生論である。
 
 

映画を彩る大物キャスト達

 

出典:「Fanpop」
 
わざわざ言うまでもない程の大物3大女優の豪華競演であり、ただでさえハードル高かった期待値をやすやすと超えてくれた。
 
 
付け鼻をして役作りをしたニコール・キッドマンは、今作でアカデミー賞主演女優賞も当然の演技である。
 
付け鼻という小道具であえて美人度を下げる様な演出をしたにも関わらず、私はニコールの美しさに釘付けになってしまった。
 
今作のニコール・キッドマンは、下手したら金髪バリバリ美女で出演してる映画よりも美しかったかも。
 
常に「死」を隣に感じている脆さ、自分勝手さを持ったヴァージニア・ウルフという女性。
 
現代語で言えばメンヘラというやつ。
 
彼女の見せるうつろな目つき、空想と現実の中を彷徨う表情、とにかくすべてが美しかった。
 
 
夫と駅のホームで喧嘩し、夫が苦渋の表情で「わかった。君が望むならロンドンに帰ろう」とうなだれた様子を見た彼女の表情。
 
夫の自分に対する深い愛を知り、そしてどこかスカッとした表情で夫を見つめるニコールの表情の力。
 
 
ローラ役のジュリアン・ムーアも言うまでもなく素晴らしい演技。
 
ジュリアン・ムーアという女性を映画で見て私が毎回感じるのが「母性」。
 
「アリスのままで」で認知症になりながらも、凛と生きるアリスを演じた時もよかったが、今作のローラ役もすごくよかった。
 
 
アリスとは対照的な、非常におとなしい性格で内向的な女性。
 
自分の奥底に芽生えた感情を押し殺せず、もがき苦しむローラという女性。
 
 
ローラにはリチャードというかわいい一人息子がいる上に、お腹には2人目の子どもがいる。
 
どんな女性であろうと、母性が溢れるに決まっているこの状況。
 
しかしローラは女性として・母としての母性よりも「一人の人間として」の思いが強く母性と本能の間で苦しむ。
 
ジュリアン・ムーアを象徴する「母性」が、今作では彼女を苦しめ、けれどもやはり母性を捨てきる事もできない彼女。
 
優しい微笑みを常にうかべながらも、苦しみもがく1人の人間の生き様を見事にリアルに見せつけてくれた。
 
 
そして映画ファンに「演技派女優と言えば?」と聞けば必ず5本の指に入るであろうメリル・ストリープ。
 
さすがだった。この人には演じられない役というのは存在しないのだろうか?
 
そりゃアカデミー賞主演女優賞2回、助演女優賞1回受賞という、とんでもない功績も納得する。
 
ノミネートに至っては20回以上、史上最多とか言われてた記憶がある。
 
今回メリルが演じるクラリッサは、一見してみれば彼女が今まで演じて来たクセのある役からすると、普通の女性。
 
「プラダを着た悪魔」のミランダのような強烈性は全く無い。
 
けれども、クラリッサと言う女性の人生の蓋を開けてみれば・・・
 
何とも孤独で複雑でエゴが強くもがき苦しんでいる女性。
 
 
彼女は常に自分の幸せや存在意義に「形」を求めている。
 
リチャードの為という名の豪華なパーティーを開くのもそう、手の込んだカニ料理を作るのもそう、すべては彼女自身が「生」を実感するための「物質」なのだ。
 
両腕にジャラジャラと溢れんばかりにつけてるアクセサリーもそうだ。
 
そしてリチャードの存在自体もそうだ。
 
リチャードは言う。
 
「君は僕を看病する事によって、自分が生きている実感を得ているんだ。」
 
 
クラリッサには自分が存在する理由となる「形」や「存在」がないとダメなのだ。
 
心の中にはずっと穴が空いているのだ。
 
 
人工授精で生んだクレア・ディーンズ演じる娘に、クラリッサはリチャードとの最も輝かしかった瞬間をこう語る。
 
「あの瞬間、私は何とも言えない希望に満ちていたの。
 これからの人生が最高になるいくという希望に。
 
 でも違ったの。
 あの瞬間こそが、私の人生の中で最も希望に満ちた瞬間だったのよ。」
 
そこからの彼女は虚無の中をずっと生き続けたのであろう。
 
けれども彼女の場合はヴァージニアともローラとも違った。
 
ヴァージニアの様に死は選ばなかった。
 
ローラの様に独りぼっちではなかった。
 
クラリッサは自分の隣にいてくれた本当に大切な存在に気づき新たな人生を生きていく。
 
 
つまりこの映画はこういう事だと思うのだ。
 
「誰か」と生きていく事は苦しい。
「誰か」と生きていく事は相手を傷つけること。
けれども人にはその「誰か」が必要なのだ。
 
 
話が映画感想にずれてしまったが、とにかく今回のクラリッサ役も言うまでもなくメリルの演技は凄かった。
 
一見普通の女性。しかし心の中には常に色んなものが渦巻き、穴があいている。
 
その穴を必死に「形あるもの」で埋めようと必死にもがいている。
 
世の中の大半はこうなのだろうという、非常にリアルな女性像をメリルが演じる事で、観た人なら(女性は特に)誰しも共感してしまうキャラクターを創り上げたと思う。
 
 
エゴが強く自分の生きている意義を必死に形で表現しようとする孤独な「ダロウェイ夫人」。
 
私含めて誰もがダロウェイ夫人なのだと思う。だってダロウェイ夫人は人間臭さの象徴だから。
 
 
とにかくクセになる映画で寝る前に見返したくなる映画。
 
結末を知ってるからとか関係なく、この映画はじわじわとクセになる作品。
 
思い出しながら記事を書いていたらまた見返したくなったので観てから寝よう。
 
 
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